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カーボンプライシング、世界に導入機運 EU先行追う中国:日本経済新聞(6/30)

世界でカーボンプライシングの導入機運が高まっている=共同

脱炭素の実現に向けて、二酸化炭素(CO2)に値段を付ける「カーボンプライシング」の導入機運が世界で高まってきた。CO2排出量に応じて企業や家庭に税金を課す「炭素税」や、CO2を多く出す企業が、減らした企業からお金を払って排出枠を買い取る「排出量取引」が代表例だ。欧米や中国、日本の最前線を追った。

静寂の取引

だだっ広いディーリングルームにたくさんのモニターが並ぶ。トレーダーはモニターに映るグラフをにらみながら、別のパソコンでチャットを確認する。「ビッド(買値)50ユーロ」「オファー(売値)51ユーロ」。顧客からの注文を1クリックで次々とさばく。静寂の中で淡々と排出枠が取引される。

静寂の中で淡々と取引が進む(写真はイメージ)

欧州連合(EU)の排出量取引市場では日々、こんなやりとりが繰り返されている。市場に参加する日本企業の担当者は「静かなものですよ。みんな在宅勤務でほとんど人もいないし」とフロアを見渡す。新型コロナウイルスの影響もあり、肩と耳の間に受話器を挟んで顧客とやりとりするかつてのディーリング風景は消えた。

排出量取引では業界などとつくった基準に基づいて、事業者に対し温暖化ガスを排出できる上限の「排出枠(キャップ)」が割り当てられる。省エネや再生可能エネルギーの利用などで実際の排出量が減り、排出枠を下回る場合は、市場を通して排出枠の余剰分を売却できる。排出枠を上回る場合は、排出枠の不足分を購入する必要がある。

割り当てられる排出枠の総量は毎年減らされる。EUは排出量取引の制度強化を検討中で、取引価格は上昇している。2017年前半までは1トンのCO2当たり5ユーロ前後で推移していたが、18年から上昇しはじめ、20年に30ユーロを記録。EUが30年の温暖化ガス削減目標を引き上げたことを受け、21年には50ユーロを突破した。

排出枠の買い手は主に、CO2排出量が多い鉄鋼や化学メーカー、電力会社だ。欧州企業が9割以上を占める。脱炭素の圧力に加え、ファンドなどの思惑買いも重なって排出枠価格は上昇傾向にある。日系企業は1割にも満たない。ガラスや紙パルプ、工場内に自家発電用のボイラーを持つ一部の企業を除き、今は対象から外れている。

取引を代行する金融機関などの多くは、専任トレーダーを置いていない。原油やガス、石炭などの商品先物との兼任で排出量取引をこなすことが多い。「顧客の要望を聞き、削減計画を提案して売買の量や額を決めるには化石燃料の相場も知る必要がある」(担当者)ためだ。

トレーダーは買い手企業の計画に沿って排出枠を手当てすることが多く、株や債券のようにひっきりなしに注文が舞い込むことはない。キャップは年間の総枠のため、企業は1年間で排出量の帳尻を合わそうと考える。短期売買で利ざやを稼ぐヘッジファンドなどを除き、12月に近づくにつれて売買を増やす。「注文がない日もあれば、数万トンの取引をする日もある」と欧州系金融機関のトレーダーは明かす。

64カ国・地域が導入

世界銀行によると、21年までに何らかのカーボンプライシングの導入を決めたのは64カ国・地域ある。00年の7カ国・地域から大きく増え、今や世界の温暖化ガス排出量の21.5%をカバーする。

先行するのがEUだ。5月下旬、EUのフォンデアライエン欧州委員長は「EUの気候変動問題での野心を実現する12の提案を示したい」と記者会見でぶち上げた。柱の一つが05年に始まった排出量取引制度のさらなる拡大だった。

フォンデアライエン欧州連合(EU)欧州委員長(ロイター=共同)

今の対象は発電や鉄鋼、セメントといった大規模な施設でEUの温暖化ガス排出量の4割をカバーする。7月には航空や海運のほか、自動車やビルなどの暖房も対象に加えると公表する見通しだ。需要と供給の原理を使い、効率的に温暖化ガスを減らせるとみてもっと市場を分厚くしようと試みる。

排出量取引に力を注ぐ一方、EU全体では炭素税は導入しておらず、加盟国の判断に委ねている。国の主権に関わる税制をEUに移すのを英国などが反対したためだ。スウェーデンやフィンランドなどが独自に炭素税を導入している。

例えばオランダでは1月から1トン当たり約30ユーロの炭素課税が始まった。30年には125ユーロになる。対象は排出量取引と重なるが、排出量取引の負担分を差し引いて課税するという。アイルランドやルクセンブルク、デンマークなどでも同様の動きがある。

フランスは14年に炭素税を導入し、1トン当たり約45ユーロの税をガソリンや軽油などに課している。企業や消費者などを対象とするが、発電や化学など排出量取引の対象企業は非課税とし、二重の負担を避けている。税収は競争力確保や雇用促進のための法人税控除、インフラ整備などの財源に使う。

炭素税は一律に課税されるため、所得の低い層の負担感が重い。フランス政府は30年に100ユーロに引き上げる方針を掲げていたが、増税に反発した市民が「黄色いベスト」運動で抗議し、マクロン大統領は税引き上げの見直しを余儀なくされた。

排出量取引も炭素税も、環境への貢献度は高まるが企業の負担は短期的に増える。対策として欧州委が7月に制度案を示すのが「国境炭素調整措置」、いわゆる国境炭素税だ。

環境対策が不十分な国・地域から輸入する場合、欧州の排出枠価格と同程度の税を課す。事実上の関税をかけ、EU域内の生産品と競争条件を合わせる。環境対策コストをかけていない廉価品の流入を減らし、EUの企業が規制の緩い国に生産拠点を移す「カーボンリーケージ」を防ぐ狙いだ。23年1月までの導入を目指す。中国などを念頭に置くが、対象をどこにするかによって国際摩擦を起こすリスクもはらむ。

上海に取引所

欧州から標的にされる中国も、カーボンプライシングへの取り組みを着々と進める。「30年より早く排出量をピークアウトさせ、60年までに実質ゼロにするよう努力する」。習近平(シー・ジンピン)国家主席が掲げる目標をにらみ、上海にCO2排出枠の取引所をつくる。13年以降、北京や天津などで試行してきた。地域に限っていた取引規模を全国に広げ、流動性と実効性を一気に高めようともくろむ。

仕組みは欧州の排出量取引とほぼ同じだ。政府が企業にCO2排出量の枠を定める。枠を超えた企業は取引所を通じて排出枠を買う。取引を義務付けるのは、温暖化ガスの年間排出量がCO2換算で2万6000トン以上の発電事業者2225社。25年までには鉄鋼や建材、石油化学、航空なども対象に加える。

最大の特徴は規模の大きさだ。中国生態環境省によると、電力や鉄鋼などの年間排出量は50億トンを超える。EUの取引対象は年間で20億トン程度とされる。いずれ中国が最大市場になる可能性は高い。潜在需要が大きい半面、投機マネーの流入や市場の透明性、排出量の実効性をしっかり担保できるかといった課題も多い。

米国は州が独自制度

米国では地方政府が存在感を示す。カリフォルニア州やマサチューセッツ州など10を超える州が、独自の排出量取引制度を整えている。

ニューヨークやメリーランドなど北東部11州は09年「RGGI(地域温暖化ガス・イニシアチブ)」を始めた。州をまたぐ広域の排出量取引制度だ。

化石燃料を使う大きな発電所が対象となる。各発電所は定められた上限にあたる排出枠を各州から買い、削減実績に応じて市場で排出枠を売買できる。各州は排出枠の販売で得た利益をクリーン投資に充てる仕組みだ。基準となる06~08年に比べ、16~18年のCO2排出量は平均48%減ったという。

バイデン大統領は4月、30年の温暖化ガスの実質的な排出量を05年比で50~52%減らす目標を掲げた。公約には全米をカバーする排出量取引や炭素税ではなく、環境基準を満たさない国から輸入する製品に税や数量制限などをかける「炭素国境調整」を掲げた。これは環境対策というより米国企業の保護政策に近い。まだ構想段階で具体策はみえず、削減目標を達成する道筋はあいまいだ。

日本は企業先行

日本はどうか。温暖化ガス排出量を30年度までに13年度比で46%減らすという政府目標のハードルは高い。排出量取引制度は有効な手段になり得るが、今は東京都と埼玉県がそれぞれ独自の制度を運営するにとどまる。欧州や中国のように全国をカバーする取引の制度設計はこれからだ。

12年には炭素税の一種にあたる地球温暖化対策税をつくった。税額はCO2排出量1トンあたり289円。ほかに石油石炭税やガソリン税などもある。総税収は年間4兆円程度に上るが、全てを脱炭素投資に回せるわけではない。新たに炭素税を導入するには税率や企業との合意、既存の税制との整合性など、解決すべきことがたくさんある。

腰の重い政府を横目に企業は先に動く。社内で炭素価格を決める「インターナルカーボンプライシング(ICP)」だ。設備投資をする際、社内価格をもとにCO2排出量をコストに換えることで低炭素投資の優先順位を引き上げる仕組みだ。

1月に導入した帝人は1トン当たりCO2を6000円、クラレは3月に採用を決めて5000円に定めた。19年度に採り入れた日立製作所は5000円だ。従来は投資効率が悪いとされた案件でも削減効果が認められ、19年度には35件の省エネ投資をした。投資額は2億6000万円、CO2削減効果は年間1356トンにのぼる。環境省によると、20年3月時点で118社がICPを導入済み。22年までに134社が導入を検討するという。

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